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春は風のように

タイトルはBIGMAMAの楽曲から。

ヴァイオリンとギターでユニゾンしているイントロの流麗なリフが

軽やかな春風のようで好きです。

10月の武道館公演はどうしても行きたい。

 

退職から1ヶ月が過ぎた。

こんなに休んだ事あったかな。

 

あっという間。

だけど時間や体力的な部分など色々な制約があって出来なかった事も出来ている。

贅沢なニート生活だ。

 

そんなことを言いながらも

目下、いろんな事のバランスを取りながら

少しずつ、先のことを考え始めている。

 

生活をすればするほど

預金残高は確実に減って行くのだ。

 

出来ること、出来ないことは大体自分でわかっているつもりだったけれど

「こういうことをお仕事の中でされていたのなら

それはこういうことにも活かせると思いますよ」と指摘されて目から鱗だった。

 

所謂、一般企業でしっかり働いてる方が当たり前に出来ることは

僕にはまだ出来ないけど

そういう人がしないことを仕事としてやっていた、というのは

見方を変えれば武器になるというのはなんだか嬉しかった。

あの会社で働かせてもらっていて本当に良かった。

 

そして春はやはり良くも悪くも僕にとっては

他の3つに比べて意味のある季節で。

 

今年もきちんと目黒川に行った。

 

そして今年も無事に一年に一度の我儘も言った。

相手の迷惑など考えない。

それだけは勝手に決めたのだ。

 

そんなことを考えていたので

今日は「オーガニック」を聞いていた。

2007年発売だって。もう10年も前なのか。

相変わらず耳が痛くなる言葉が並んでいる。

 

「まだ」と「もう」の間で行ったり来たりしているような日々です。

 

『この手の温もりを

忘れる事が出来なくて まだ』

( 春は風のように / BIGMAMA )

最近あなたの暮らしはどう

タイトルはTHE NOVEMBERSの大好きな曲から。

 

3月に会社を退職し

一時的な解放感と宛てのない生活への不安と

なんとかなるだろうという楽観的な気持ちで日々を過ごしています。

 

相変わらずですが「日々の生活を丁寧に」という教えに添って

頑張ったり、手を抜いたり、そんな毎日です。

 

春になると寝付けなかったりするのですが

今年も無事にその季節に突入したようで

例年のように懐かしい歌を聴いて、昔の記憶を辿ったり辿らなかったり。

 

その顔は上手に思い出すのが少しずつ難しくなっているのに

声や言葉や、あの時の空気感は今でも鮮明に思い出せるので

都合がよく、都合の悪い自分の記憶力に苦笑いもしたくなります。

 

バランスを取る、でも

辻褄を合わせる、でも

帳尻を合わせる、でもないようなそういう何か。

 

酸いも甘いも刹那的。

Sentimental boys 「青春が過ぎてゆく」に寄せて

「青春が過ぎてゆく」

なんて不条理な言葉だろう、と思う。

人は失くしてから、過ぎてから気付く事が多い生き物だ。
「あぁ、青春が過ぎてゆくなぁ」なんて悠長に眺めていられる人なんていない。

だからこのタイトルには矛盾すら感じるのだけど
抗うことも巻き戻す事もできない時間の流れを受け入れて
出来るだけ優しく、綺麗に包むとこの言葉に行き着くんだと思う。

大人にはなりきれず
子供のように駄々もこねる事も許されず
そんな中で自分というものを形成していく

ここからだという合図もなく始まり
自分の意思とは関係なく終わっていくけれど
後に振り返ると青く柔く眩しく揺らいでいる蜃気楼のような時間や

後悔して、いずれ懐かしく感じて、そのうち笑えるようになって
いつか忘れて行ってしまう
そんな愛おしい記憶のことを『青春』と呼ぶ。

くだらないことに一生懸命な日々や
くすぐったくなるような友情や
甘酸っぱい、という表現だけではまだ片付けられない恋愛も
とても身近に、そして遠くに感じられる作品。

『綺麗って時に残酷じゃない?』(「春の海で」より抜粋)

作詞作曲を手掛ける櫻井の視点にはいつもハッとさせられてしまう。
今、振り返って見る「青春」はきっと綺麗で残酷なもので
春は儚く、切ない季節なのだと思ってしまう。

あなたの愛おしい日々のそばに。
そして後悔と思い出に寄り添ってくれる
2017年春、必携の1枚。

Sentimental boys ワンマンライブ at 吉祥寺WARP

本日、吉祥寺WARPにて開催された

Sentimental boysのキャリア初となるワンマンライブを見た。

 

定刻を過ぎ、ステージに姿を表した彼らは

「君と泳いだ日」で記念すべき一日の始まりを告げる。

 

VJとしてde-sheevo氏を招き

聴覚だけでなく視覚的にも表現したライブは

1曲1曲が短編映画のようなSentimental boysの楽曲との

親和性がとても高く、観客を物語の中に誘っていた。

 

ライブ中盤では「10代の頃に演奏していた曲」として「終わり始まり」

「もう二度と演奏しないかも知れない。今日だからこそ」と「LOVE」

Sentimental boysとして初めて制作した楽曲「ストロベリーガール」と

キャリア初期の楽曲を立て続けに披露し観客を喜ばせたり

 

MCでメンバーの高校時代を振り返り

Gt.堀内がBa.櫻井に公園に呼び出され

「ストロベリーガール」を弾き語りで聞かされた事や

Vo.&Gt.上原が金髪の坊主頭で上半身裸でオカリナを吹いてから

ライブが始まっていたというエピソードで観客を笑わせ

ワンマンならではの和やかなムードが会場を包んでいた。

 

ライブ後半のMCでは

上原が最近彼女と別れてしまった事を告白し

「これまでの過ぎてしまった青春も大切にしながら

これからをもっと大切に過ごしたい」と話し

4月に新しい音源を発売する事を発表した後

その音源に収録される新曲「青春が過ぎてゆく」を披露。

 

「戻れない 戻れない」と言い聞かせるように

噛み締める様に歌う上原の表情がとても印象的なバラードだった。

 

彼らはその後「グッドバイ」「metro.」という

代表曲2曲を情感たっぷりに鳴らし、ステージを去った。

 

観客からのアンコールに応える形でステージに戻った4人は

「Boredom City Parade」を高らかに奏で

超満員の吉祥寺WARPの盛り上がりは最高潮となり大団円を迎えた。

 

Sentimental boysというバンドは

過ぎてしまった時間や

今、この瞬間にも通り過ぎて行く時間が

とても大切だという事を教えてくれる。

 

永遠のように長く感じた坂道の先にある隣町

夕食時を知らせる匂いや灯って行く街の明かり

帰りを急かす様にオレンジに染まって行く空

 

彼らの音楽を聞いていると

そんな懐かしい記憶の中の原風景が浮かんでくる。

 

忙しなく、流されていく事に慣れてしまった毎日の中で

立ち止まって、振り返ってみる事で

日々の中にある見落としてしまいがちな

大切な何かに気付けるような気がする。

 

もしあなたが「過去」に捕われ

「今」を受け入れられず

「未来」を悲観しているのであれば

 

その道標がSentimental boysの音楽の中にあるかもしれない。

 

あなたの生活に、あなたの人生に

優しく寄り添ってくれるかもしれない。

 

そんな事を思った一日でした。

back number「アンコール」

昨年2016年の年末にリリースされた

back number キャリア初となるベストアルバム「アンコール」

 

『これを聴いてもらえばどんなバンドかわかるのと同時にどんなバンドでありたいか、

という基準で選曲しました。日本語がわかる人全員に聴いてほしいです』

 

back numberの作詞作曲を手がける

Vo.Gt 清水依与吏のコメントにもある通り

このアルバムでback numberというバンドに出会った人にも

back numberが歌って来た思いやその風景が見える楽曲が並んでいる。

 

僕の人生においてとても不安定だった時期を

このバンドに助けられた事を改めてこの作品で思い知る。

 

back numberの楽曲

そして清水依与吏、小島和也の言葉が

僕の人格形成に大きく影響を与えてくれたと思う。

 

back numberの音楽が僕にとって必要な理由は

「stay with me」という楽曲にある

『すべての報われない想いに光を』という一節に集約されているのかもしれない。

 

いつだって清水依与吏は

自分の気持ちとぶつかり、投げ出し、向き合い、そして受け入れて

音楽というツールを使って吐き出している。

 

報われなかった想いを

嘘のない生々しい温度を持った言葉で歌うからこそ

多くの人に届くようになったのだと思う。

 

忘れられない人がいるということを認められない人に

自分自身を許せないという人に

 

いまそばにある別の幸せに手を伸ばして

幸せになってしまっていいのかわからない人にこそ

この作品を聞いて欲しいと思う。

酸いも甘いも刹那的

先日、誕生日を迎え

今年もまた無事に一つ歳を重ねる事が出来ました。

 

歳を重ねる毎に大人になる事の難しさを感じ

それを面白い、と思う様にもなっていて。

 

20代をほぼ全て費やして叶えたものがあって

もうすぐその一つの青春が終わろうとしています。

 

きっと未練が残る事はないだろうなと思えたので

この選択肢に手をかけられたのかもしれない。

 

「何を選んでも後悔は訪れるので

せめてその時の自分にとって選ぶ価値があると思った方を選びなさい」

という教えに忠実に生きて来たこの10年だったような気がする。

 

もう必要ないと思ってからロスタイムみたいに続いてきた日々が

そろそろ3000日を迎えようとしていて

まだ未練が残っている事もある。

 

それでも半ば投げ出したこの生き方、生活、

自分の中にある迷いのような気持ちも愛おしく思える様になっていて

それはきっと貰ったものなんだろうなと思う。

 

「いつか、また」と思う反面

そんな日が来なくてもいいと諦めている

自分に少し苦笑いをしながら

ふと、思い立って

こうして書き記している。